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思い出・過去の事

【女】いつかは子供が産めると期待していた小学校、中学時代。バラ色の人生で知った子供で出来方。

投稿日:2017年5月23日 更新日:

子供に「どうやったら子供って出来るの?」そう聞かれたら大人は困るだろう。私も小さい時に何度か母親に聞いた時があるが、はぐらかされた事をうっすらと覚えいている。

小学校、中学校でも私はぼんやりと「いつか自分も産めるんだろうな…」と考えてた。多分産めない事は当時でも分かっていたが、産めないと言う現実に立ち向かいたくなかったのだろう。

「いつか医学が発展する」そんな期待もあったのだろう。私は時に身を任せる事にした。

学ぶ機会が無かった

大人の中で今でも子供に対して性的な事はタブー化されていると思う。私も子供時代には知らなく、子供は勝手にいつか出来るものだと考えていた。

中学1年の後半まで私は「女性が子供が出来た後に男女は結婚する」今考えると恐ろしく無知だったと思う。だが当時は本気で思っていたので、シングルマザーの人達を「これから結婚していく人達なんだな」と思っていた。

バラ色の人生

バラ色の人生と言う島田紳助さんが司会をしていた番組を覚えているだろうか?この番組は昔生き別れた人をテレビ局が探し出して出会う番組である。うちの家族と呼べていた人達はこの番組が好きでよく見ていた。私も生き別れた家族等の再開を見て「人生って色々あるんだな」と思っていた。

その中で中学生で妊娠して家を飛び出して出産と言う時があった。私は「中学生で妊娠って早いな。でも妊娠は自然になるものだからしょうがないじゃないか…」と思っていた。そして彼女を擁護するような発言をしたのだ。その瞬間母親の顔が曇った「あんたも気をつけなさいよ」言ったと思う。

私は状況が分からなかったので詳しく母に説明をして貰った。中学校1年後半で初めて子供がどのように出来るか知ったのだ。

不安な気持

その後色々あって私は不安を中学校生活を送ったのを覚えている。自分は男の生活を一生送らないといけないのかと実感したのだ。

中学の間ずっと自分は不安定だった。男の人に興味があったのは一時的なものだと自分を納得させる事はあったのだが、どうしても体への不信感は無くならなかったのだ。自分の体を見ると不安になるのでお風呂上り自分の体を見て不思議に思った。

体が嫌だったので、中学生なら一度は通るお洒落を拒絶した。友達がファッションに興味を示しても自分は男性服を着るのが嫌だった。この時から私はジャージを愛するジャージマンになったのだ。

私のジャージの歴史は深い。是非とも私のブログをジャージ販売会社が見ていたら私をモデルにして欲しい、炎上させる自信は誰よりもあるので是非とも任せて欲しい。

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