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思い出・過去の事

【女】お金が無くてコバンザメのように男友達の後をついて回った過去。ライフガードを飲みたいと思い続けた日々

投稿日:2017年5月16日 更新日:

私は小さい時から自分の性別に違和感を感じていた。特に小学校は「あれなんか自分ってどっちなんだろう?」と思う事が多々あった。

そして男子の中にいると不安になる事が多かった。だからと言って性同一性障害と言うのは分からなかったので、一生懸命男としての立ち位置を作ろうとしていた。

女性のボク

以前に書いたが私は小遣いは少なくてもいいので定額制がいいと述べた。それは私の経験からであり、辛い過去があった。

性別的に私は女っぽい所が多かった。男子が遊ぶ事には興味があまりなく、男子が恐かったのを記憶している。毎日毎日ビクビクしながら生きていた。小学生ながら「早く人生終わらないから」と考えていたのを覚えいてる。

唯一母を恨んでいる事

母は私にサッカーを習わせた。当時はサッカーボールをただ蹴るだけが面白かった、なぜならば一人で出来るからだ。そこで母はサッカー団に私を入れた。当初は私は乗り気だったが、男子といる事が苦痛でしょうがなく、すぐに辞めたいと言った。だが母からの答えはノーだった。

サッカーをやる前も剣道をやっていた。これは母が勝手に申し込んだものだ。礼儀や作法を知るという理由で入れられたが本当にこれだけは母を恨んでいる。本当に剣道とサッカーは苦痛以外の何物でもなかった。

私は母を愛しているが習い事だけは本当に辞めたかった。本当に男子といるのが苦痛だったのだ。なので私の小学校生活は苦痛しかなかった。

習い事をして何か学べたはずでは?と言う意見はあるが本当に男子が苦手になった。本当にこれさえなければもう少しまともな人生を歩んでいたと思う。これだけは母を恨まずにはいられない。

会話に入れない

サッカー団でやっていくには本当に苦痛だった。サッカーをやる子供は悪いがやんちゃな子が多い。そしてお互いをからかいあっていじめのようなものが発生する。

私のような気弱な体質はターゲットにはならなかったがずっとからかわれた。

私は何度も母に辞めたいと申し出た。その度に「上手にお友達になりなさい」と言われた。本当に悲しかった。全て話せば分かりあえると考える母は私にとっては邪魔な存在にしかなかった。

自分なりに私も努力した。会話に入ろうとおちゃらけてみたり、他の子が興味をしめしている会話をしようとも試みた。だが私はどこにも属せなかった。

そしてなによりも辛かったのはお金がない事だった。

コバンザメ

私の時代はたまごっちやミニ四駆、ゲーム機が流行った。それがなかなか私は買えなかった。

母と言う存在は「そんなものが無くても友達になれる。物で繋がるのは友達じゃないよ」と言う。

皆の中に入ろうと一生懸命だったが私は入れなかった。物理的にだ。みんなは駄菓子屋に入る、だが私はお金を持ってないので入れない。みんなは駄菓子を持って出てきて話すが、私は何も持ってないので少し離れて皆が食べ終わるのをずっと待つのだ。本当に悲しかった。本当に地獄だった。

たまごっちや、ミニ四駆、ゲーム機なんかいらなかった。私はみんなと駄菓子が食べたかった。

一度母に言った事がある。「駄菓子屋は不良が集まるからダメ」

ふざけるなと思った。では私の居場所はどこにあるんだ。あんたは友達と仲良くしろと言うけど、その友達は私が入ってはいけない所に入っていく。私はあの時のあの女の事は未だに許すことは出来ない。

私はいつもコバンザメのようにひっそりつくっついて自分の居場所を求めた。本当にサッカー等やりたくなかった。出来るなら女の子の遊びがしたかった。本当に本当に苦痛な時間だった。

ブタメンとライフガード

お金を持っている同級生は多くはチマチマ買い物をしていた。10円や20円の駄菓子を少しづつ買うのだ。

だがお金をかなり持っている時はブタメンとライフガードを買うのが私たちの間の贅沢だった。

私はいつか自分も食べれたならなといつも思っていた。本当に人が食べている姿がを羨ましそうに見ている自分が情けなくて情けなくてしょうがなかった。

情けない自分を出さない為に私は皆から離れていた。離れていると会話が出来ない。ただでさえ私は男子の会話がなかなか理解できないのに会話に入れないのでいつも独りぼっちだった。

「あーみんなと同じように食べれたら少しは会話に入れたのに…。」そう思う日々だった。

多分読んでいる人は気にせず中に入っていけばと思うだろう。何度かやったころある。その度に「これやろうか?うっそーーーーんあげなーーーい」と言われたのだ。何かこう悲しかった。自分が乞食のようで空しかった。

堪能した時は時遅し

私は病院勤務で初給料で駄菓子屋に行ったのを覚えている。多分初給料だったと思う。

その時にブタメンとライフガード、そしてチョコバット、ゴールドチョコ等たくさん買った。良い大人が一人で買ってひっそりと食べたのだ。

「あーこういう感じでみんな食べていたのか」そう思うと感無量だった。「やっとみんなに追いついた」そう思ったのだ。

私は半分は男だ、だから男の事も少しはしてみたいと思っていたのだろう。

ふと横を見ると小学生低学年が駄菓子を選んでいる姿が見えた。多分糸クジを引いた後だろうか飴を舐めている姿があった。そして駄菓子屋の中ではスーパーボールクジを引いている子がいた。

瞬間的に子供に帰った気がした。でも私の周りには誰もいなかった

終わりに

人生で一番つらかったのはいつ?今かもしれないが小学校かもしれない。とても些細な事だったが強烈に印象に残っている。

私のように性同一性障害の子供を持つ親がもしも私のブログを見ているとすれば一つアドバイスがある。

性同一性障害の人間は本当に肉親から愛されたいと願う。なぜならば自分自身が汚い存在だと認識するからだ。私自身今でも友達の子供に触るのは躊躇する。「もしかして触ったらこの子が汚れてしまうのではないか?」バカげた話だが本当考えてしまうのだ。

愛されたいと思い、大体の事は我慢してしまう。私はもっと強く言えば良かったのだろうが、私自身「自分がおかしい」とはなかなか母に言えなかった。

まず私の経験から分かって欲しいのは習い事なんてさせるもんじゃない。本当に無駄。礼儀や作法、根性など小学生には必要ない。小学生に必要なのは楽しい時間だ。礼儀作法、根性等中学、高校、大学で嫌って程習う。そして社会に出たらそれしか習わない。

楽しい思い出が無いってのは本当につらい。なので私は写真が一枚もない。

本当に引っ越しの時に一枚残らず捨てた。あるのは小学校の卒業アルバムと専門の卒業アルバム。多分これも近いうちに捨てる。なぜならば見ても苦痛しか思い出がないからだ。家族写真すら一枚もない。

そして愛されたいと願うと同時に恨みも同時に発生する可能性も考慮して欲しい。私は母に愛されたいと願うが、私の人生の一部をぶっ壊した女だとも思っている。

産んでもらったことは恨んでいない。性同一性障害で生まれた事も恨んでいない。ただ私の話を聞かなった期間は恨んでいる。本当に苦痛だった期間だ。

普通の男の子だったらここまで恨まないと思う。私はずっと居場所が欲しかったのだ。

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